当日パンフより
ごあいさつ
このたびは、劇団脳細胞第二回公演『世界はあまりにも』にご来場いただきました、誠にありがとうございます。
去年、第一回公演『日本の悲劇』が好評をいただき、このたび、第二弾を上演する運びとなりました。
『世界はあまりにも』が出来上がるまでには、紆余曲折がありました。
その辺りの経緯を、特別エッセイとして、制作の藤田が書いてくれましたので、それをここに掲載します。
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『世界はあまりにも』のてんまつ 制作 藤田
そのとき、僕はいつものように中央線のつり革に掴まりながら、劇団脳細胞のいわたさんのことを考えていた。
「あなたの根源的な欲求ってなんですか?」
いわたさんが僕に向けた質問だった。
そのようなことを聞かれ、僕はすぐに答えられず、口ごもり、何か言おうとし、また口ごもって、しばらく沈黙が流れた。
僕はようやく、言った。
「そうですね、金持ちになりたい、とかですかね。あと、できれば結婚もしたいですね」
いわたさんは僕の顔をろくに見ずに、フッと笑い、それきりその話題には触れず、高円寺で行われることになった、第二回公演についての具体的な打ち合わせを再開した。
それから僕の頭には、「根源的欲求」という言葉が張り付いて離れなくなった。根源的、というからには、金持ちになりたいとか、結婚したいとか、そういう表面的なことではないのだろう、と思い直し、僕は何度も自分に問い直した。
それは不思議な体験だった。
人間は自分の欲求を満たすために生きているはずだ。
なのに、改めて問われてみると、自分の欲求の正体が明確にはわからない。
それからしばらくして、いわたさんとまた、打ち合わせをした。
「タイトルは、『世界はあまりにも』っていうんですけどね」
「面白そうですね。あまりにも、なんなんですか?」
「女優が一人、死ぬ話なんです」
いわたさんは大筋を語り始めた。
舞台となるのは、芝居の稽古場。
その稽古中に、劇団員の女優が死ぬ。
事故か、自殺か、他殺か、わからない。
新たな女優がやってきて、代役をやることになる。
だが実は、その女優は死んだ女優の親友で、死の真相を探りに来たのだ。
その劇団は、役者たちに特別な訓練をさせていた。
『自分は彼であり、彼はあなたであり、私であり、彼女であり、みんな一緒だ』
そんな思想が、体と心に徹底的に叩き込まれる。
役者たちは元々、他の人間になりたがる、という習性を持っている。
だから、そういった訓練を続けるうち、いつしか役者同士で、自分と他人の区別がつかなくなってくる。
さらにそれが進んでいくと、役者たちがそれぞれ持っている『根源的欲求』が、あろうことか、別の誰かに乗り移ってしまう。
そうやって誰かの欲求が体に入り込んで来たその人物は、元の人物が必死に抑圧していたその欲求を、いとも簡単に果たしてしまう。
だとすれば、死んだ女優は、誰かの自殺願望が乗り移って死んだのではないのか。
だが女優は思う。
いや、もう一つ可能性がある。
誰かの殺人願望が、他の誰かに乗り移り、それが実行され、殺されたのではないのか。其の勘は的中する。
やがて犯人が特定され、逮捕される。
死んだ女優を愛していた男だった。
こうして事件は決着し、死の原因を探りに来た女優は、主役に抜擢される。
だが、最後に、女優は恐ろしい真相を知ることになる。
犯人の男に、殺人願望を移したのは、自分だった。
女優は、無意識のうちに親友を装いながら、死んだ女優に対する殺人願望を抱いていた。
親友を殺し、入れ替わり、自分が主役である人生を送ることこそ、彼女の「根源的欲求」だったのだ。
聞き終わり、僕はすごく面白そうな話だ、と思った。
この話がどのように舞台化されるのか、早く見たいと思った。
遅れて制作に加わった奥原さんにも話してみたが、好感触だった。
だが、結果的にこの話は、全く違うものへと変貌を遂げてしまう。
それが今回、上演される「世界はあまりにも」である。
舞台は稽古場から、いつしか山の中の別荘に変わり、それに合わせたセットが組まれることとなった。
台本を読んで驚いた。
全く、違う話であるばかりでなく、せっかく考えたストーリーは冒頭に出て来る本の中に閉じ込められている。
なぜ、このような大幅な変更をしなくてはならなかったのかをいわたさんに聞いてみると、いわたさんはいつものように、にこやかにこう答えた。
「絶えず変化したいというのが、僕の根源的欲求なのかもしれませんね」
ぞっとする話ではないか。
今、目の前にあるこの台本も、いつ変化するかわからないということだ。
そして実際、俳優たちは毎日のようい変わる台本に、恐怖を抱き始めているようだった。
この原稿を書いているのは公演七日前。無事に幕が上がることを祈る他はない。
そして僕はいつものように、中央線のつり革に掴まりながら、いわたさんの言葉を考えていた。
「あなたの根源的欲求はなんですか?」
その答えはいまだに、出ていない。