日本の悲劇の解
- いわたよしお
- 2018年5月8日
- 読了時間: 2分
籾田竜彦は、完全な形である円が持つ、固有の定数・π(円周率)が無理数であることに疑問を感じ、人類自体が、この宇宙にあってはならないものではないかという妄想を抱く。
この一見、荒唐無稽な考えは、実は切実な側面を持っている。
僕は以前から、人類に対してそのような考えを持ち続けていて、それをどのような形で表現すべきかをずっと考えており、一つの案として、今回のような形になった。
これは決して、人類が戦争やら、差別やら、殺人やら、婦女暴行やら、そういった人道に反することばかりしでかすので、それをもって人類はこの宇宙に存在してはならない、といっているのではない。
むしろ逆であって、人類は宇宙に存在してはならない存在だからこそ、『そういうことも』犯すのだ、ということである。
人類が、この宇宙にとって非常に特殊な存在であることは間違いない。
そしてこの特殊性は、人類の病からきている。
地球上だけに限っても、人類は、他の生物よりも優れているから、このような文明を築けたわけではない。
他の生物よりも、真っ当に生きることができないから、文明と呼ばれるものを築き上げるしかなかった。
だが、その文明は、人間が独りよがりで作り上げたものであって、依って立つベースが存在しないため、いつも不安定で、病的で、自己破滅的で、拡大主義的である。
我々人類は、まともであろうとしても、それは所詮、人類というカテゴリーの中の『』つきのまともでしかなく、普遍的なまともさはどうしても持ち得ない存在だと思う。
それを肝に銘じた上で、人類ははかない人生を生きなければならない。
そのことをいちばん、肌で感じていたのは、おそらく籾田陽子という登場人物だったと思う。彼女は人類の存在意義を放棄し、ただ生きることのみを目的として存在している。それが正しかろうがどうだろうが、彼女には関係がない。
人間として生まれてしまった以上、正しく生きることはないのだから。
最新記事
すべて表示「世界はあまりにも」をご観覧いただいた方、ありがとうございました。 想像以上の反響をいただきました。 絶賛する感想も多数、いただきました。 ギリギリまで脚本、演出を変更し、最後の最後までよりよいものを、と思いやってきたのが、 功を奏したものと思います。...
ごあいさつ このたびは、劇団脳細胞第二回公演『世界はあまりにも』にご来場いただきました、誠にありがとうございます。 去年、第一回公演『日本の悲劇』が好評をいただき、このたび、第二弾を上演する運びとなりました。 『世界はあまりにも』が出来上がるまでには、紆余曲折がありました。...
いよいよ、公演まで1週間となった。 紆余曲折があり、内容が日毎に刷新されていく。 一人の女優が死んだ話が、いつしか本の中の出来事となり、 話の舞台は稽古場から、別荘の一室へと変わった。 この大胆な変更に役者たちは戸惑い、 さらに一向に明かされないラストシーンにも苛立ち、...