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日本の悲劇の解

籾田竜彦は、完全な形である円が持つ、固有の定数・π(円周率)が無理数であることに疑問を感じ、人類自体が、この宇宙にあってはならないものではないかという妄想を抱く。

この一見、荒唐無稽な考えは、実は切実な側面を持っている。

僕は以前から、人類に対してそのような考えを持ち続けていて、それをどのような形で表現すべきかをずっと考えており、一つの案として、今回のような形になった。

これは決して、人類が戦争やら、差別やら、殺人やら、婦女暴行やら、そういった人道に反することばかりしでかすので、それをもって人類はこの宇宙に存在してはならない、といっているのではない。

むしろ逆であって、人類は宇宙に存在してはならない存在だからこそ、『そういうことも』犯すのだ、ということである。

人類が、この宇宙にとって非常に特殊な存在であることは間違いない。

そしてこの特殊性は、人類の病からきている。

地球上だけに限っても、人類は、他の生物よりも優れているから、このような文明を築けたわけではない。

他の生物よりも、真っ当に生きることができないから、文明と呼ばれるものを築き上げるしかなかった。

だが、その文明は、人間が独りよがりで作り上げたものであって、依って立つベースが存在しないため、いつも不安定で、病的で、自己破滅的で、拡大主義的である。

我々人類は、まともであろうとしても、それは所詮、人類というカテゴリーの中の『』つきのまともでしかなく、普遍的なまともさはどうしても持ち得ない存在だと思う。

それを肝に銘じた上で、人類ははかない人生を生きなければならない。

そのことをいちばん、肌で感じていたのは、おそらく籾田陽子という登場人物だったと思う。彼女は人類の存在意義を放棄し、ただ生きることのみを目的として存在している。それが正しかろうがどうだろうが、彼女には関係がない。

人間として生まれてしまった以上、正しく生きることはないのだから。


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